516 【 時間点+1 】 君は男の逃げ出すのを黙って見送り、改めて檻の方に向き直った。船の内壁に沿って 3つ並んだ鉄の檻に以前入っていたものは何だったのか、相当に臭く汚い。それでも寝 藁と布が板の上に敷かれただけの簡素な寝台に人が横たわっているように見える檻の 中だけは掃除されていて、寝台の周囲には何かが彫られた手のひら大の板が何枚も置 かれていた。檻の奥は暗くてよくわからないが、それを彫ったのはおそらく君が倒した男 だろう。 檻には鎖付きの鍵が掛けられていて、君が倒した男の持ち物を探ろうと背を向けると、 檻の中で何かが身動きする気配がした。振り返れば毛布をめくって身を起こしつつこち らを見ていたのはやはりあの娘に間違いない。以前は離れた場所で横顔を目撃した程 度だが、青味がかった銀糸のような美しい髪を君はこれまでに見たことはなく、日没の間 際に光と闇の狭間で空を染めあげる赤と紺の混ざり合った紫の瞳は、「呪術」という魔法 に近い術を操る資質を意味するこの世界でも極めて稀な特徴だとルルに教えられた。そ れほどに特異な容姿の娘をこのわずかな期間で見間違えることはないはずだ。 「あなたは誰……?」 やや怯えた様子で娘は訊いてきた。以前に見た時と変わらず細かな紋様のある布を胸 と腰に巻きつけただけの姿だ。 君は自らの存在を証明するための拠り所を持たないため、現時点での立場を説明する 以外にはなかった。つまりは遺跡探索の依頼遂行中に目にした、奴隷として囚われてい ると見えた娘を助けるために海賊船へと乗り込んできたのだということを。 それを聞いた娘はしばらく呆気に取られたような顔をしていたが、やがて憂いを帯びた 微笑みをうかべて言った。 「それは間違っていないかもしれないけれど、正しい判断だとは言えない。私が彼らに囚 われているいうのは間違っていないけれど、無理にここを出ていくるつもりはないもの」 そう告げる表情にはすでに怯えはなく、場違いなほどに落ち着いて見えた。 『どうやら素直には連れて行けそうもありませんが、彼女を説得できそうですか?』 ルルに対しても今はまだ明確に答えられはしなかった。娘の言い分を鵜呑みにできな いとはわかっていても、あえて危険を冒させるほどの決心をさせなくてはならない。 そこで君は改めて自分の名を名乗り、娘の名を訊くところから始めた。ゆっくりと会話を している余裕はないだろうが、ここまで来て簡単に1人で脱出できるわけもない。 その娘はスヴァルニーダと名乗った。少なくとも君が旅してきた土地においては聞いた ことのない不思議な響きのある名だ。落ち着いて見える容貌よりも若く17歳になったば かりだというが、「呪い師」を生業としてここより遠く北方の海を旅している最中、乗ってい た船がこの"黄金の虎”と称する海賊団に襲われ、そのまま拉致されてしまったらしい。 その際、海賊に歯向かった者を除いてほとんどの乗員、乗客は解放されたが、彼女の場 合はその特異な容姿のためか、囚われの身になってしまったようだ。 ・ 生業について詳しく訊く(515へ) ・ 外に出てしたいことはないのかと訊く(406へ) ・ 娘を救うことを諦め、1人で脱出する(524へ) |