「なあ、なに考えてるん?」
 テラスで、遠くを眺めていた俺に 智子は訪ねてきた。そして、そっと俺の横に寄り添ってきた。
 「そうだな、昔のことかな。」
 「昔のこと?」
 「俺と智子の物語さ。」
 「もう、ええかっこしいが。」
 智子が、俺を肘で小突く。照れたような優しい笑顔をしている。海からの風が、昔ながらの三つ編みにした髪の毛を 揺らす。そして、智子の腕の中には 無垢な赤ん坊が幸せそうに寝ている。
 「なあ、幸せか?」
 「うんっ! めっちゃ幸せや。全然、後悔なんて感じてへんよ。」
 即答だった。
 「そっか。」

 帰る場所を失い、俺に答えを求めた 智子。
 そして、答えを見つけた。
 答えが智子を変え、というか 元に戻っただけらしいのだが それにより周りの彼女を見る目も変わった。それに、俺は よかったと心の底から喜んだ。
 やがて、季節は移り変わり 智子と出会って2年目の早春 地元の大学に合格した。智子と一緒に勉強してきたせいか、余裕すら感じられた受験であった。
 大学入学の頃には、お互いを名前で自然と呼べるようになっていた。
 そして、春の日射しが射し込む 誰もいない教室で俺は一人 考えていた。これからのことを・・・ 。
 「浩之、こんなところにおったんかいな。」
 聞き慣れた関西弁で、智子が話しかける。
 「ああ。」
 窓の外をぼ〜と眺めなる俺の前に、智子が顔を覗かせる。
 「どないしたん?」
 「ちょっと、な・・・ 。」
 「んぉ〜、一緒に帰ろ思ぉて 探しとったんよ。せやのに、浩之 気のない返事しくさって。こっちの身にもなりぃやっ!」
 「ああ、わりぃ。」
 「・・・」
 「 ・・・なあ、智子。」
 「んっ!?」
 「これからのことって、考えた事あるか?」
 俺は、先程まで考えていた事を 智子に聞いてみた。
 「なに、急にそないなこと言うて・・・ 。
 そやなぁ・・・ 以前は、神戸に帰ることばかり考えてた。でも、浩之とこうなってもうて どうでもええことになったし。大学にも入ったし、これからの事はこれから考えていこかってとこやな。」
 でも、ほんに どないしたんや?」
 智子が、不思議そうな顔をして 俺を見ている。ジッと、真っ直ぐに俺だけを見ている。
 二人を包む空間だけ、時間の流れがゆっくりとしているように 感じられる。
 「うちに、言いにくいことでもあるん?」
 「いや、智子に隠してても しょうがねぇしな。それでな、ちょっと考えてた事があるんだ。」
 「考えてた事?」
 「ああ。 ・・・その、なんだな・・・ 大学を休学して、2年程 世界中を歩き回ろうかと思ってな。」
 「えっ?」
 「いや、今すぐってわけじゃないけど。アルバイトして、金が貯まったらの話で。」
 「 ・・・で? 世界中を回ってまでして、なにがしたいんや?」
 「まだ、これといった考えはないけど・・・ 。たぶん、住み着く場所を探しに行くような気がするんだ。」
 「うちを、ほっといてか?」
 「えっ?」
 「うちをほったらかしにしてかと、言うてんのや! そないな事もわからんちゅうのんか!!」
 瞳に、涙をいっぱいに浮かべている。
 「うちのこと、嫌いになったんか? うちの側に、ずっといてくれるって言うたのは 嘘やったんかっ!」
 まくし立てるように、問いかける智子。涙が、止めどなく流れ落ちる。
 「落ち着けって。」
 「これで、落ち着いていられる程 人間でけてへんっ!」
 「たく、しょうがねぇな〜。とに、人の話は 最後まで聞けよ。誰も、智子を嫌いになったなんて 言ってないぞ。」
 「ほんまか?」
 他人が見たら、やばいような状況だな。特に、知り合いには 絶対見せられないぜ。
 「ああ、本当だとも。俺にとって、今でも そしてこれからも 智子はとても大事な人だからな。」
 俺は、席を立つと 涙ぐむ智子の背後へと回り込んだ。
 両腕で、智子を抱きしめると ビクッと身体を震わせた。
 「あっ・・・ 。」
 こわばらせていた身体から、力が抜けていくのが感じられる。そして、そっと智子の手が 俺の手に重なってくる。
 「なあ、そんなにも怖いのか?」
 俺は、泣いて取り乱している智子が 脅えているようにしか見えなかった。
 俺だけに見せる、彼女の内面。表の強さに裏打ちされた、俺だけが知っている弱さ。
 「 ・・・うん。」
 コクンッと、頷く。
 「ごめんな。」
 智子が、愛おしくてたまらない。彼女を、不安におとしめたことを 悔やむ。
 思わず、智子を抱きしめる腕に 力が入る。
 「痛っ。」
 「ああ、すまない。」
 パッと腕を放すと、それれまで感じていた温かな存在が 逃げていった。
 そして、クルリとこちらを向いた智子は まだ涙ぐんでいた。涙が、春の日射しを受けて 輝く。
 「一緒に、行こうぜ。」
 「えっ?」
 「一緒に、世界中を歩きに行こうぜ。智子がいなかったら、俺も寂しい。智子がいないと、意味がないんだ。」
 「ほんまか? ほんまに、うちがおらんと 意味ないんやな!」
 「ああ、嘘言ってどうなるんだ。」
 俺は、なんとなく恥ずかしくて 鼻の頭を掻いた。
 それにしても、まだ 本当に頭の中だけの・・・ 思い付きなだけの考えなのに、ここまでのことになるとは。。。
 と、そんなことを思っていると 智子が飛びついてきた。
 「おわっ。」
 「信じていいんやな? 浩之のこと、本当に信じていいんやな?」
 「智子を受け止め、子供をあやすように 頭を撫でてやる。少しでも、安心できるように。安らぎを感じるように。
 「信じるも、信じないも、智子次第さ。」
 「いじわるやね。」
 そう言った智子の声は、優しかった。

 俺たちは、必死になって働いて 旅費を貯めた。
 そして、金が貯まった時 旅に出た。智子と二人、東南アジアを皮切りに 当てのない放浪の旅へと。
 急ぎ足の旅だったかもしれない。
 砂をかぶり・・・
 泥にまみれ・・・
 潮風にあたり・・・
 日射しにやかれ・・・
 雪にうもれ・・・
 どんな時も、二人寄り添いながら 旅を続けた。
 危険な目にもあったし、多少病気やケガもした。
 それでも、なんとか2年余りで旅を終えた。
 そして、大学に復学し・・・ やがて、卒業した。
 卒業後、どちらからとなく 申し合わせたように 籍を入れた。
 そうなることが、当たり前のように。かといって、籍を入れたから 俺たちがなにか変わるわけじゃない。周りの見る目が、ちょっと変わっただけだった。
 それから、俺たちは 日本をでた。
 そして・・・・・・

 「なあ? なんで、日本を出たんや?」
 智子が、不意に そんなことを言った。
 「嫌だったか?」
 「そういうことやない。今まで聞かずにおったけど、なんとなく。」
 腕に抱く子供を見ながら、寂しそうな顔をしている。
 「そんな顔するなって。
 ・・・そうだな。ここは、日本と同じように 季節の移り変わりがあるし。それに、なんたって 手つかずの自然にも恵まれているから 気に入った。日本からの観光客も、多いしな。
 でも、本当の理由は そうじゃない。」
 「本当の理由?」
 「ああ。ほら、”故郷は、遠くにありて 思うもの。”て言うだろ。だからかな。」
 「なんやの、それ?」
 クスッと、智子が笑う。笑う智子を見ていたいから、智子を選んだのかもな。今更ながら、そう感じる。
 「そりゃ、あの町は 俺が生まれ育ったところさ。楽しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、辛いことも、みんなあの町にあった。
 だからかな・・・ あの町を出ることにしたのは。」
 「なぜやの?」
 「それら、全てを大切にとっておきたいからな。
 いずれ、町は 姿を変えてしまうだろう。でも、思い出は 変わらないだろ。」
 「うん。」
 「あの町へ帰れば、雅史がいて、あかりがいて、志保やみんながいる。そして、昔話で華を咲かせる。いうなれば、あの町は 宝箱みたいな物かな。」
 「その気持ち、ようわかる。でも、寂しないか?」
 その一言が、俺の胸を貫いたように思えた。だが・・・
 「かもしれないな。でも、そんなことは言ってられないぜ。これからは、俺と智子 そして子供たちと思い出を作っていくんだからな。」
 「うん・・・ そうやねっ!」

End